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日本に向けたシベリア横断

1940年終わりに、ソ連政府がすべての難民に対してソ連国籍への切り替えを命じ、それにそむくと「不安定分子」として強制的にシベリアに送られるため、難民はソ連領であるリトアニアを出国しなければならないという強い観念に駆り立てられました。シベリア横断鉄道を使って東部のウラジオストック港まで安全にたどり着いた人たちからの報告に勇気づけられ、数百人のユダヤ人難民がソ連の出国ビザを申請しました。ソ連政府がなぜポーランドの怪しげな旅行書類を持った難民を出国させたのかはいまだに不明です。しかしながら、難民という特別な状況により、移民するチャンスが与えられました。併合後にソ連領となったリトアニア在住ユダヤ人には認められない前途でした。

ただし、ズワーテンダイクと杉原によって助けられたすべての難民がリトアニアを去って、日本に行ったわけではありませんでした。ソ連政府は高額な鉄道運賃に米ドルでの支払いを要求し、それを保持しないものもいました。ジョイント・ディストリビューション・コミッティーは数百人の運賃を援助しましたが、全員を助けることはおよそ不可能でした。

「幸福な気分と心配な気分が入り混じっていました。無事到着できるのだろうか、「エデンの園」を逃れたがっている人物を見つけるためのソ連のいつものわなではないだろうかと心配していました。共産主義のソ連から他国に出国するなど聞いたことがありませんでしたから。」

—ベンジャミン・フィッシュオフ。戦後の思い出より

「日本海を渡るうち、何日も心配しながらロシアの領海を越えるのを待ち望んでいました。ついに実現したのです。赤旗が降ろされ、ソ連当局者が船を去りました。自由がすぐ目の前に現れたのです。われわれにとって日本は本当に日が昇る国でした。」

—オスカー・シェンカー。1941年9月
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