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避難と救済
米国国立ホロコースト記念博物館特別展

1939年9月に始まった戦争により、ドイツおよびソビエト占領下のポーランドでは、300万人以上のユダヤ人が抜き差しならない状況に追い込まれました。実際にホロコーストの恐怖から逃げ出せたのはほんのわずかな人々でした。1940年終わりから1941年初めにかけて、ホロコーストの大量虐殺が始まるほんの数ヶ月前に、2,100人のポーランド系ユダヤ人が極東へ、さらにその先へと逃れたのでした。シベリア横断鉄道や気船に乗り込み、最初に避難したリトアニアから東に向かって日本まで約9,600キロという長旅を敢行し、多くの人にとっては、上海が最終到達地となりました。

多数の人々の惜しみない努力なしに、安全圏に到達できた人はほとんどありませんでした。行く先々でユダヤ人団体ならびにユダヤ人社会によって、資金やその他の支援が提供されたのでした。中でも最も重要だったのは、オランダ亡命政府およびナチスドイツの連合国である日本という思わぬところから差し伸べられた支援でした。1940年夏のこの人道的行為は、リトアニアに避難していた数百人のユダヤ人にとっては極めて重要なものだったのです。

「大使や領事に大変複雑な避難経路を説明するために、われわれは地図をすっかり記憶し、熟知していました。経路がなければ、たとえ書類の上だけでも、一時のために自分達で作り出したのです。」

—ゾラフ・バルハフティク(難民リーダー)。戦後の思い出より
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